本コラムは、【連山】に 2007年02月26日に投稿したコラムです。
【旧連山コラム】アジア通貨危機
橘みゆき 2007年02月26日
南朝鮮は1996年にOECDに加盟を果たしたが、高級品は円安傾向にある日本との競争に負け、普及品では通貨の切り下げた支那やアジア諸国に負けていて、苦しい状況であった。
アジア通貨危機がスタートした1997年7月、南朝鮮の金融部門が抱える不良債権を問題視したムーディーズは南朝鮮の格付けをA1からA3に落としたことから、南朝鮮経済が不振となってしまった。
10月下旬、ヘッジファンドはウォンを大量に売ってきた。
1997年12月までの南朝鮮経済の状況
1961年、5月16日の軍事クーデターにより政権を得た朴正煕は、五カ年計画方式の計画経済を導入して、朝鮮戦争からの復興をめざした。1965年6月、日韓基本条約により、60億ドルの円借款と技術導入の足がかりを得ると共に、アメリカとの関係改善を進め、経済援助による外資が南朝鮮における経済開発の原資となった。
これらの資金を京釜高速道路や昭陽江多目的ダム等に投入して社会基盤を整備すると共に、国策企業(浦項製鉄所や韓国綜合化学等)や財閥の重工業分野に集中的に投資した。
この政策により南朝鮮は、サムスングループや現代グループ等の財閥が成長した。
この時の経済成長は「漢江の奇跡」と呼ばれている。
1988年10月にソウルオリンピックが開催されるまで、南朝鮮経済は高成長を続けていた。
政治を見ると、1987年の民主化宣言に基づき、大統領選挙が実施され、1988年2月より第14代大統領「金泳山大統領」の時代となっていた。
南朝鮮は、日本から技術移転を受け、日本から核となる部品や精密機械を輸入して、国内で工業製品を作り、アメリカを中心に輸出をしていた。
労働コストが安かったため、日本と同レベルの品質のものを安く作ることができた。
ちょうど円ドル為替レートは円高傾向にあり、造船、製鉄、自動車、半導体メモリなど、日本と競合する分野において、価格競争力で有利に働いた。
1980年代後半から1990年代前半にかけて、円高ドル安が急激に進む中、日本企業はアジアへ工場を移転させたり、インフラ整備のために円借款に積極的に応じたため、ジャパンマネーがアジア各国に大量に流入した。
アジア諸国の労働コストは、高水準にまで上昇した南朝鮮の労働コストと比較すると安かった。
そのため、南朝鮮産の工業製品よりも、さらに価格競争力のある安い工業製品がアジア諸国で生産されるようになった。
1995年の後半以降、円安ドル高に為替レートが反転した。
これは日本と競合する分野において、価格競争力を失うことを意味する。
また、東南アジアでの労働コストが上昇してくると、さらに労働コストの安い支那に工場を作る動きが出てきた。
しかも支那は元・ドルレートを切り下げて、外国企業を積極的に誘致したため、さらに競争力を増していた。
高級品では日本と競合し、普及品では支那やアジア諸国と競合する中、南朝鮮の経済は次第に悪化していくことになる。
南朝鮮版の不動産バブルが崩壊した。
日本と同様、南朝鮮の金融部門は多額の不良債権に苦しむことになった。
南朝鮮は外国からの借金により、経済不振を先送りしたが、外国から資金を得るためには金利を高くしなければならず、金利を高くするとウォン高となり、輸出競争力が弱くなり、業績が悪化し、さらに借金をしないといけなくなるという悪循環にはまってしまった。
アジア通貨危機がスタートした1997年7月、南朝鮮の金融部門が抱える不良債権を問題視したムーディーズは南朝鮮の格付けをA1からA3に落としたことから、外国からの資金流入が減少し、南朝鮮経済はますます不振になってしまった。
10月下旬、ヘッジファンドはウォンを大量に売ってきた。
経済の実体はボロボロなのに通貨ウォンが高く評価されているのを、ヘッジファンドは逃さなかったのである。
南朝鮮は、ウォン買いドル売りの為替介入を実施したが、外貨準備高が底をついてしまった。
南朝鮮は、IMFの支援を受ける前に、日本政府や大手邦銀に支援を要請したが、断られてしまった。
1997年12月、IMFは、南朝鮮が短期対外債務の返済するために必要な資金210億ドルの緊急融資を行った。
IMFの支援を受けて、遅ればせながら日本も南朝鮮を支援した。
結局、南朝鮮は、IMFから570億ドルの融資を受け、経済的な主権を失った。
IMFの緊急融資を受けた後の南朝鮮
IMFが南朝鮮に要求した内容は、1984年にメキシコ債務危機の際、成功した施策を一律に適用したものであった。
一言で言えば、緊縮財政を行うことで国の借金を返済することである。

IMFの施策は多岐にわたるが大筋は以下のとおり。
(1) 税金の引上げと歳出の削減による緊縮財政の実施。
(2) 公共料金の値上げ。
(3) 国内市場の開放(輸入制限の撤廃や金融市場の開放)。
(4) 財閥解体など閉鎖的な経済の仕組みを見直す。
(5) 企業の徹底したリストラの実施。
これらは、南朝鮮が経済成長した仕組みを徹底的に破壊する施策であった。
もちろん南朝鮮国民のためではなく、ノー天気に南朝鮮にお金を貸した海外の債権者を保護し、南朝鮮の危機が広まらないようにするためであった。
強烈なデフレ政策によって、南朝鮮の経済は事実上凍りついた。
GDPは現象し、大量失業者が発生した。
貧富の格差は広がる一方だった。
南朝鮮政府の努力にも関わらず、IMFの施策は成功しなかった。
メキシコの場合は政府による対外債務が原因で危機に陥ったのだが、南朝鮮の場合は、民間企業の債務が原因だったため、政府にお金が戻ってきても、不景気になったため、民間企業にお金が戻ってこなかったためである。
2006年7月に外務省北東アジア課が作成した「韓国経済の現状と日韓経済関係」を見ると、だいぶ良くなったような印象を受ける。
だが、いろいろ調べて見ると、良い部分のみ着目し、悪い部分を無視しているように見える。IMFが去った後、南朝鮮は徹底的に破壊され、国民の心象風景がちょうど空襲を受けた後のように何もかも灰になってしまっている。
思いつくものを列挙すると以下の図のようになる。
本コラムを執筆する際、ネットで調べていたら、「南朝鮮の消費者信用市場についての考察」(執筆者:小林 剛、2006/10/11)という文書を検索エンジンで読むことができた。
南朝鮮の内需を拡大するため、クレジットカードで借金を大いにしようというキャンペーンを政府が大々的に行ったため、自己破産してしまう人が増えてしまったことがわかりやすく書かれている。
ぜひ一読していただければ幸いです。
南朝鮮で起こったことは、近い将来の日本で再現されてしまうことがないように願っています。
橘みゆき 拝
【関連するHP】
「IMFと韓国経済」(韓国問題研究所のHP/韓国の声40号に掲載された記事)
韓国経済の現状と日韓経済関係(平成18年7月)外務省北東アジア課 (外務省のHP)
「南朝鮮の消費者信用市場についての考察」執筆者:小林 剛、2006/10/11(社)神奈川県貸金業協会 業務指導委員会のHP
Neo-Generation.NETへ再掲載:2009/05/12 橘みゆき 拝
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