新世代どっとネット(Neo-Generation.NET)でタグ「バブル崩壊」が付けられているもの

フロリダ州の位置

 

先日、秋月でTV会議をした際、1930年代の大恐慌が、1920年代にフロリダの不動産バブル崩壊をきっかけにスタートしたことを言ったところ、受けがよかったので、Wikipediaを要約した内容を掲載します。
(写真の引用元は、いずれも、Wikipedia:フロリダ州 です)

 

マイアミ市マイアミ市

 

フロリダキー内にあるBahia Hondaのビーチフロリダキー内にあるBahia Hondaのビーチ

 

19世紀の終盤以降、フロリダ州は鉄道が州内に延伸するにつれ、人気観光地となった。
1920年代には、フロリダ土地ブームとなった。
マイアミやパームビーチが開発されたのは、この頃である。
第一次世界大戦に勝利した当時のアメリカに、世界中からゴールドやマネーが集まっていた。
(注:当時は金本位制度が機能していた)

だが、1925年に土地の取引価格が高くなりすぎて、買い手がいなくなった。
まもなく土地ブームは終焉した。
さらに追い討ちをかけたのが、「1926年のマイアミ・ハリケーン」の被害である。
フロリダの不動産ブームの破たんは、1929年の大恐慌のスタートを告げるものであった。

現在、フロリダには、テーマパークが多く作られているが、フロリダ州の最初のテーマパークは、1930年代に造られたウィンターヘイブン近くの、サイプレスガーデンズ(1936年)と、セントオーガスティン近くのマリーンランド(1938年)であった。

 

スペースシャトル・コロンビア号の打ち上げスペースシャトル・コロンビア号の打ち上げ

 

フロリダといえば、ケネディ宇宙センターをはじめとするロケット発射基地が有名である。
1949年、発現期のミサイル計画の試験場に選定された。
パトリック空軍基地やケイプカナベラル発射場が1950年代に整備された。
1960年代初め以降、宇宙開発競争の最前線として、世界中から注目された。
アメリカ合衆国によって打ち上げられる全ての有人軌道周回船は、月への探査船を含め、ケネディ宇宙センターから打ち上げられてきた。

 

2010年メキシコ湾原油流出事故 2010年メキシコ湾原油流出事故
 NASAの人工衛星テラが2010年5月1日に撮影した油膜

 

「2007年サブプライムローンの信用収縮」が発生した時、フロリダに限らずアメリカ全体だったが、「1987年のブラックマンデー」以降、20年以上続いた不動産価格の上昇が止まった。
アメリカ各地で不動産バブルが弾けたのである。
2010年の場合、ハリケーンではなく、「2010年メキシコ湾原油流出事故」による被害が出ている。

 

姿や当事者は変わっているが、歴史は似たようなパターンを私達に示すことが多い。
となると、もうすぐ資本主義崩壊を伴う世界大恐慌が来るのが予想できる。
未来を知るには、歴史からの教訓を見出し、先人達の成功や失敗に学ぶのが近道です。

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2010/06/22 橘みゆき 拝

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本コラムは、【連山】に 2007年07月04日に投稿したコラムです。

 

【旧連山コラム】アジア通貨危機から10年
橘みゆき 2007年07月04日

 

アジア通貨危機がキーワード検索でトップ

6月の検索文字列のキーワードは「アジア通貨危機」が1位でした。
ちょうどアジア通貨危機から10年経過したこともあり、TVや新聞、雑誌等でアジア通貨危機について特集され、注目されたのでしょう。
そういうこともあり、2月に書いた「アジア通貨危機」のコラムを読んでいただいた方が多かったそうです。
コラムを書いた直後だけでなく、思い出した時に読んでいただけるのは、たいへんうれしく思います。

 

アジア通貨危機に関連したコラム

2007年2月から3月にかけて、
 「メキシコ通貨危機」
 「アジア通貨危機」
 「南朝鮮にIMF緊急融資(アジア通貨危機2)」
 「ロシアのハイパーインフレ」
のコラムを書きました。

50年以上前の話では、
 「第一次大戦後のドイツは2度経済破綻した」と、
 「新円切替」のコラムもあります。

これらを見ると、自国の通貨が暴落すると、社会が混乱し、治安が悪化すること、大多数の国民が大きな被害を受け、復活するのに多くの時間がかかります。
歴史のページをめくっていくと、同じような悲劇がいたるところで発生しています。
様々な要因がありますから全く同じパターンが繰り返されるわけではありませんが、バブルの発生と崩壊は、チューリップバブルから2000年のITバブル崩壊まで繰り返されてきています。

歴史に翻弄された人々から教訓を見出し、今後の展開を予測し、対応策を考え、実行する(最後の実行することができない人が多いのも歴史からの教訓の1つです)。
現在の米国住宅バブル、支那のバブル、ロシアや中東の資源バブルがいつ崩壊してもおかしくない状況です。
そのために10年前に発生したアジア通貨危機について、学ぶことは大変有意義なことだと思います。
日本から大量のマネーが世界中に供給されることで、バブルが世界中で作られています。
低金利の日本からマネーを借りて、高金利の国で運用するキャリートレードの流れが世界中のバブルを支えています。
日銀が金利を上げたり、日本の大都市で地震が発生し復興需要により、大量のマネーを日本に還流させないといけない事情となったとき、バブルは崩壊します。
世界同時バブル崩壊という名前がつくかもしれません。
バブル崩壊に関しては日本は世界に先駆けて苦しんでいますから、バブル崩壊を乗り越えるためのノウハウも日本が一番持っていることになります。
バブル崩壊が世界中に広まった時、日本が一番最初に21世紀型の社会に生まれ変わり、世界中の国から先行事例として評価される。
。。といいのですが、日本のようにはならないようにしようという可能性が高そうです。
どう言われようと成功すればいいのですが、嫉妬深く、協調せず他人の足を引っ張ってばかりいる連中を見ると私は悲観的にならざるを得ません。

橘みゆき 拝

Neo-Generation.NETへ再掲載:2009/07/28 橘みゆき 拝

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本コラムは、【連山】に 2007年04月24日に投稿したコラムです。

 

【旧連山コラム】バブルの発生と覇権の移行
橘みゆき 2007年04月24日

 

鴨長明が方丈記の冒頭部分で、こう書いています。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」

資本主義の歴史を振り返ると、覇権が風船の如く、いろんな国から、別の国へ移っています。
また、川に浮かぶ泡みたいに、バブルが発生し、そして崩壊しています。
ある国で経済が成長し繁栄した後、成熟期、衰退期を経て、今度は別の国が成長路線に入るといったサイクルが繰り返されている。
そんな風にも見えます。

 

歴史的なバブル崩壊

 チューリップバブルミシシッピィ会社南海泡沫事件世界大恐慌昭和のバブル上海バブル?
 1637年1719年1720年1929年1990年2009年?
オランダイギリスフランスアメリカ日本支那
覇権の移行スペインからオランダオランダからイギリスオランダからイギリスイギリスからアメリカアメリカから日本? 
対象資産球根土地と株土地と株

 

1588年、アルマダの海戦でイスパニアの無敵艦隊がイギリスに大敗し、1609年にオランダが事実上独立した。
オランダ東インド会社から上がる貿易による莫大な利益はオランダ経済を潤した。
そんな中でチューリップバブルが発生した。

オランダ人が庭に植えるために珍しいチューリップの球根を競い合って買ったわけではなかった。
チューリップの球根が資産として価格が急上昇した理由は、今日買った球根は明日はもっと高値で売れるはずだという期待感であった。
最初は金持ちが、最終的には大半のオランダ人がチューリップの球根を買うために借金をしたりするありさまだった。

一般市民が投機に夢中になる頃には終幕が近くなっている。
バブル崩壊後、経済が収縮するため、バブルに参加していない堅実な人も苦しむのは、当時も今も同じである。
チューリップバブル以降、数多くのバブルが発生し、崩壊してきた。

バブルが発生するには、余剰資金の蓄積が必要なため、長い間、貿易黒字を稼ぐ必要がある。
その時代の覇権国は貿易赤字国の場合が多いため、覇権国の同盟国でバブルが発生するケースが多い。
歴史的なバブルを経験した国は、その後、覇権国となっているケースと、そうでないケースがある。

フランスで発生したミシシッピィ川の開発を巡るバブルと、イギリスで発生した南海泡沫事件は、ほぼ同時期に発生しているが、覇権を握ったのはイギリスであった。
上の表を見ると、覇権の移行は100年位で発生している。
19世紀前半にイギリスが覇権を握り続けたのは、フランス革命やナポレオン戦争にヨーロッパ大陸の国が疲弊したことと、ヴィクトリア女王の時代となり大英帝国の繁栄が続いたからであろう。
であれば、アメリカが日本や支那に覇権が移らないという未来もありえる。
・・・そんなことを2000年のITバブル崩壊を横目に考えていたのだが、世界中を飛び交うマネーによって、頻繁にバブルが発生し、崩壊している。

バブルを起こすだけの余剰資金は、最近こそオイルマネーが増えてきているが、よくよくみると日銀が低金利でばら撒いているマネーが種銭となっているようだ。
北京オリンピック後、支那の経済が低迷し、上海株が暴落したとすると、回りまわって日本が支那からマネーを引き揚げたためと未来の経済学者が書くかもしれない。
もっとも、アメリカの次に覇権を握るのが、日本でも支那でもなく、どこの国でもないという三国志時代の支那みたいな展開になるのかもしれない。

 

支那とアメリカのバブル

日本のバブル崩壊が1990年に開始したとして17年経過しました。
日経平均も一時期8千円あたりでしたが、2007年4月現在、17500円前後です。
2000年の米国でのITバブル崩壊を振り返ると、短期間で株価が3倍になるような急上昇の後、だいぶ株価が下がっているようです。
昨年はインドやドバイで株価が半値になり、今年の2月や3月に上海発の世界同時株安をしましたが、2-3年前の株価水準から大分上昇しているため、調整局面だといえます。
ちょっとしたニュースで大きく上下しているため、バブルに参加している人達がそろそろ手を引こうとしている局面です。
また、アメリカでも住宅バブルが崩壊する直前です。
日本から低金利でマネーを調達して、世界中で運用することで利益を上げています。
日銀が金利を上げたり、市場に供給するマネーを減らしたり、回収したりすると、世界中で金欠状態となり、世界各国で株安となります。
また、資金繰りをするため、儲かっているGOLDを売却するため、GOLDも一緒に下がります。
余裕資金があり、GOLDが好きな人にとっては、世界同時株安はGOLDのバーゲンセールとなります。

橘みゆき 拝

※経済予測ならびに投資の最終決定は、ご自身の判断でなされるようお願いします。投資は自己責任です。

【関連する図書】
 方丈記 (著:鴨 長明 ) (青空文庫)
 決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉 著:ポール・ケネディ
 決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈下巻〉 著:ポール・ケネディ
 経済大国興亡史 1500-1990 <上>  著:チャールズ・P・キンドルバーガー
 経済大国興亡史 1500-1990 <下>  著:チャールズ・P・キンドルバーガー
 新たな黄金時代―腐敗政治と経済混乱が新時代の革命を生む  著:ラビ・バトラ

Neo-Generation.NETへ再掲載:2009/07/01 橘みゆき 拝

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本コラムは、【連山】に 2007年02月26日に投稿したコラムです。

 

【旧連山コラム】アジア通貨危機
橘みゆき 2007年02月26日

 

南朝鮮は1996年にOECDに加盟を果たしたが、高級品は円安傾向にある日本との競争に負け、普及品では通貨の切り下げた支那やアジア諸国に負けていて、苦しい状況であった。
アジア通貨危機がスタートした1997年7月、南朝鮮の金融部門が抱える不良債権を問題視したムーディーズは南朝鮮の格付けをA1からA3に落としたことから、南朝鮮経済が不振となってしまった。
10月下旬、ヘッジファンドはウォンを大量に売ってきた。

 

1997年12月までの南朝鮮経済の状況

1961年、5月16日の軍事クーデターにより政権を得た朴正煕は、五カ年計画方式の計画経済を導入して、朝鮮戦争からの復興をめざした。
1965年6月、日韓基本条約により、60億ドルの円借款と技術導入の足がかりを得ると共に、アメリカとの関係改善を進め、経済援助による外資が南朝鮮における経済開発の原資となった。
これらの資金を京釜高速道路や昭陽江多目的ダム等に投入して社会基盤を整備すると共に、国策企業(浦項製鉄所や韓国綜合化学等)や財閥の重工業分野に集中的に投資した。

 

日本から南朝鮮への投資および技術移転

この政策により南朝鮮は、サムスングループや現代グループ等の財閥が成長した。
この時の経済成長は「漢江の奇跡」と呼ばれている。
1988年10月にソウルオリンピックが開催されるまで、南朝鮮経済は高成長を続けていた。
政治を見ると、1987年の民主化宣言に基づき、大統領選挙が実施され、1988年2月より第14代大統領「金泳山大統領」の時代となっていた。
南朝鮮は、日本から技術移転を受け、日本から核となる部品や精密機械を輸入して、国内で工業製品を作り、アメリカを中心に輸出をしていた。
労働コストが安かったため、日本と同レベルの品質のものを安く作ることができた。
ちょうど円ドル為替レートは円高傾向にあり、造船、製鉄、自動車、半導体メモリなど、日本と競合する分野において、価格競争力で有利に働いた。

 

日本との輸出競争

1980年代後半から1990年代前半にかけて、円高ドル安が急激に進む中、日本企業はアジアへ工場を移転させたり、インフラ整備のために円借款に積極的に応じたため、ジャパンマネーがアジア各国に大量に流入した。
アジア諸国の労働コストは、高水準にまで上昇した南朝鮮の労働コストと比較すると安かった。
そのため、南朝鮮産の工業製品よりも、さらに価格競争力のある安い工業製品がアジア諸国で生産されるようになった。

 

支那やアジア諸国との輸出競争

1995年の後半以降、円安ドル高に為替レートが反転した。
これは日本と競合する分野において、価格競争力を失うことを意味する。
また、東南アジアでの労働コストが上昇してくると、さらに労働コストの安い支那に工場を作る動きが出てきた。
しかも支那は元・ドルレートを切り下げて、外国企業を積極的に誘致したため、さらに競争力を増していた。
高級品では日本と競合し、普及品では支那やアジア諸国と競合する中、南朝鮮の経済は次第に悪化していくことになる。

南朝鮮版の不動産バブルが崩壊した。
日本と同様、南朝鮮の金融部門は多額の不良債権に苦しむことになった。
南朝鮮は外国からの借金により、経済不振を先送りしたが、外国から資金を得るためには金利を高くしなければならず、金利を高くするとウォン高となり、輸出競争力が弱くなり、業績が悪化し、さらに借金をしないといけなくなるという悪循環にはまってしまった。

アジア通貨危機がスタートした1997年7月、南朝鮮の金融部門が抱える不良債権を問題視したムーディーズは南朝鮮の格付けをA1からA3に落としたことから、外国からの資金流入が減少し、南朝鮮経済はますます不振になってしまった。
10月下旬、ヘッジファンドはウォンを大量に売ってきた。
経済の実体はボロボロなのに通貨ウォンが高く評価されているのを、ヘッジファンドは逃さなかったのである。
南朝鮮は、ウォン買いドル売りの為替介入を実施したが、外貨準備高が底をついてしまった。
南朝鮮は、IMFの支援を受ける前に、日本政府や大手邦銀に支援を要請したが、断られてしまった。
1997年12月、IMFは、南朝鮮が短期対外債務の返済するために必要な資金210億ドルの緊急融資を行った。
IMFの支援を受けて、遅ればせながら日本も南朝鮮を支援した。
結局、南朝鮮は、IMFから570億ドルの融資を受け、経済的な主権を失った。

 

IMFの緊急融資を受けた後の南朝鮮

IMFが南朝鮮に要求した内容は、1984年にメキシコ債務危機の際、成功した施策を一律に適用したものであった。
一言で言えば、緊縮財政を行うことで国の借金を返済することである。

IMFの施策
IMFの施策

IMFの施策は多岐にわたるが大筋は以下のとおり。

 (1) 税金の引上げと歳出の削減による緊縮財政の実施。
 (2) 公共料金の値上げ。
 (3) 国内市場の開放(輸入制限の撤廃や金融市場の開放)。
 (4) 財閥解体など閉鎖的な経済の仕組みを見直す。
 (5) 企業の徹底したリストラの実施。

 これらは、南朝鮮が経済成長した仕組みを徹底的に破壊する施策であった。
もちろん南朝鮮国民のためではなく、ノー天気に南朝鮮にお金を貸した海外の債権者を保護し、南朝鮮の危機が広まらないようにするためであった。

 

IMFの施策は国民のためではない

強烈なデフレ政策によって、南朝鮮の経済は事実上凍りついた。
GDPは現象し、大量失業者が発生した。
貧富の格差は広がる一方だった。
南朝鮮政府の努力にも関わらず、IMFの施策は成功しなかった。
メキシコの場合は政府による対外債務が原因で危機に陥ったのだが、南朝鮮の場合は、民間企業の債務が原因だったため、政府にお金が戻ってきても、不景気になったため、民間企業にお金が戻ってこなかったためである。

2006年7月に外務省北東アジア課が作成した「韓国経済の現状と日韓経済関係」を見ると、だいぶ良くなったような印象を受ける。
だが、いろいろ調べて見ると、良い部分のみ着目し、悪い部分を無視しているように見える。IMFが去った後、南朝鮮は徹底的に破壊され、国民の心象風景がちょうど空襲を受けた後のように何もかも灰になってしまっている。
思いつくものを列挙すると以下の図のようになる。

 

IMFのせいで南朝鮮は焦土と化した

本コラムを執筆する際、ネットで調べていたら、「南朝鮮の消費者信用市場についての考察」(執筆者:小林 剛、2006/10/11)という文書を検索エンジンで読むことができた。
南朝鮮の内需を拡大するため、クレジットカードで借金を大いにしようというキャンペーンを政府が大々的に行ったため、自己破産してしまう人が増えてしまったことがわかりやすく書かれている。
ぜひ一読していただければ幸いです。

南朝鮮で起こったことは、近い将来の日本で再現されてしまうことがないように願っています。

橘みゆき 拝

【関連するHP】
 「IMFと韓国経済」(韓国問題研究所のHP/韓国の声40号に掲載された記事)
 韓国経済の現状と日韓経済関係(平成18年7月)外務省北東アジア課 (外務省のHP)
 「南朝鮮の消費者信用市場についての考察」執筆者:小林 剛、2006/10/11(社)神奈川県貸金業協会 業務指導委員会のHP

Neo-Generation.NETへ再掲載:2009/05/12 橘みゆき 拝

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【旧連山コラム】アジア通貨危機

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本コラムは、【連山】に 2007年02月18日に投稿したコラムです。

 

【旧連山コラム】アジア通貨危機
橘みゆき
 2007年02月18日

 

アジア通貨危機は、1997年7月のタイバーツの通貨切り下げからスタートした。
タイを中心とした東南アジア各国のみならず、南朝鮮、香港、ロシアへと影響がドミノ倒しの如く広まっていった。
アジア各国はドルペッグ制を採用しており、海外からの資金流入により、高成長を維持してきた。
1985年のプラザ合意以降、円高不況に対応するため、日本企業はアジアへ工場を移転させる動きが強まり、アジア各国はマネー浸りとなった。

 

1985年から1998年の為替レートの動き

1985年から1998年までの為替レートの動き

アジア通貨危機を語る前に、為替レートの動きをおさらいしたい。
アジア各国がバブルになるほど資金流入した背景に、急激な円高ドル安の進展にあるからである。
1985年9月22日プラザ合意を受け、為替レートは1ドル=240円から1987年末には1ドル=120円となった。
急激な円高により日本は円高不況となった。
また、1987年10月のブラックマンデーが発生したが、バブル経済中もあり、日本の影響は最小限に抑えられた。
日本はますますアジアへの投資を強めた。
1980年代後半から1990年代前半にかけて、アジア各国は金利が安い円借款の借り入れに走り、インフラの整備を行った。
1990年には1ドル=160円のレベルまで戻ったものの、円高不況が続くなか、工場をアジアへ移転する動きが活発化した。
そのため、アジア各国はジャパンマネーの流入により、高成長を謳歌していた。
一方、日本の金融機関は国内の不良資産の償却をするための原資を確保するため、海外資産の投売りを繰り返し、円高の進展を後押しした。
1995年になると1ドル=100円に達したが、アジア各国の通貨当局は一斉に円買いに走った。
円借款の返済に必要な円を確保しなければならなかったからである。
そして、1995年4月19日1ドル=79円75銭の最高値をマークした。
円安に反転したのは、1995年5月31日に実施された日米協調介入(1ドル=81円から85円に急落)である。
円安は、1998年8月の1ドル=147円まで続いた。
背景には、日本経済の低迷、日本の金融システム不安があったが、1995年9月に公定歩合が0・5%に引き下げられた超低金利による円キャリートレードによる影響が大きかった。
アジア通貨危機が発生した1997年5月は120円台であり、日本の金融当局には望ましい水準であったが、振り子が右から左に振れるように、円も売られすぎてしまった。
だが、ロシア危機によって、1998年10月には1ドル=110円台に急騰。
ヘッジファンドによる円キャリートレードの解消が急速に広まったためである。

 

タイバーツの通貨切下げ

アジアへの投資

1985年のプラザ合意以降、円高が急激に進む中、日本企業はアジアへ工場を移転させたり、インフラ整備のために円借款に積極的に応じたため、ジャパンマネーがアジア各国に大量に流入した。
タイを始めとする東南アジア諸国は好景気に沸いた。
経済成長率は年9%に達した。
また、アジア各国はドルペッグ制を採用しており、金利を米国よりも高めに設定することで、海外からの資金流入を図り、高成長を維持してきた。
1996年になると、高成長にもかげりが出てきた。また、タイの貿易収支も赤字となった。
日米の為替レートが円安に反転したものの、1995年9月に日銀が公定歩合を0・5%に引き下げられたことを受け、円キャリートレードにより新興国へ資金が大量に流入していた。
だが、これは逃げ足の速いマネーであった。

日米欧から新興国への投資

タイは海外から資金を借りて、国内のインフラや産業を整備して、輸出による売上げで金利を支払う経済構造であった。
1994年に破綻したメキシコと背景は同じである。
タイを始めとするアジア各国は、円高で輸出競争力が低下した日本を横目に見て、アメリカに輸出していたため、円安ドル高の局面になると輸出競争力が低下することは避けられなかった。
タイバーツはドルペッグ制を採用していたため、通貨を切り下げることはできなかった。
高成長を続けてきたタイ経済にも陰りが出てきた。
1997年5月頃からタイバーツは実態よりも高く評価されているとして、ヘッジファンドは、大量にドルを買いバーツを売った。

 

新興国からのマネーの引き上げ

当初、タイの中央銀行は為替介入を通じてタイバーツを支えたが、力尽き、1997年7月2日、1ドル=24バーツから29バーツへ切り下げ、変動相場制の導入に踏み切った。
ヘッジファンドは巨額の利益を得た。
一方のタイは、日本の金融支援を得ることができなかったため、IMFによる融資を受けざるを得なかった。
1998円1月には1ドル=56バーツとなった。
為替レートの急落はタイ経済を直撃した。
海外からの借金は金利の高いバーツ建てではなく、金利の安いドル建てであったからである。
タイでは工場が倒産し、失業者が増大した。
タイバーツの急落のあおりを受け、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジアの周辺諸国も大きな打撃を受けた。
後講釈になるが、日本から資金援助がなされたら、アジア通貨危機は発生しなかったのではないかと考えている。
円の国際化を図るのであれば、絶好のタイミングであったが、当時の日本経済は金融システム不安がピークを迎え、銀行・証券会社を始め多くの金融機関が破綻していたので、国内で精一杯であった。
結果論となるが、アジア通貨危機はドミノ倒しのように、世界各国に広がり、ロシアのLTCMが破綻するに至ったときに急激な円高に反転して、大打撃を受け、なおかつ多額のマネーを負担させられたのを見ると、結局は多額のマネーを失うこととなった。
IMFの融資は1994年のメキシコ通貨危機には危機を回避することに成功したが、タイでは失敗した。
これはメキシコの場合は政府の負債が危機につながったため、緊縮財政で政府にお金が戻ってくればよかった。
タイの場合は民間企業の債務であったため、メキシコでやったことをそのままやったのではデフレ経済になるため、景気が悪化し、企業が倒産してしまい、結局お金は戻ってこなかった。

 

他の東南アジア各国への広がり

タイバーツの急落は、タイ周辺の東南アジア各国へも波及した。
東南アジア各国はドルペッグ制を採用しており、日本を中心とした海外資金の流入によるバブルが発生していたこと、円安ドル高で輸出競争力を失い、高成長を続けてきた経済に陰りが出ていたというタイの事情とほぼ同様だったからである。
タイの通貨変動で利益を得たヘッジファンドは、さらなる利益を求めて、他の国の通貨に対しても、現地通貨売りのドル買いの攻勢をかけた。
フィリピンやマレーシアがほぼ同時期に、インドネシアが少し遅れた11月に通貨危機が発生した。
インドネシアの場合、通貨危機による国内のインフレや失業により、暴動が発生。
結局スハルト大統領が辞任して、経済の建て直しを行うこととなったが、他国と比べ経済復興するのに時間がかかった。
マレーシアの場合、投機筋をシャットアウトするために株式取引規制や、マレーシアの通貨リンギを海外で取引することを規制するといった一時鎖国状態の規制を実施した。
当然、多くの批判を浴びたが、結果としてマレーシアにとってプラスとなる資金しか入ってこなくなるため、アジア通貨危機からの立ち直りは早かった。
国の指導者のリーダーシップによって、大きく変わる事例である。

 

香港と南朝鮮そしてロシア

アジア通貨危機は、東南アジアにとどまらなかった。
1997年10月、香港ドルに対してヘッジファンドが攻勢をかけたが、香港の金融当局は10億ドル以上の資金を投入するとともに、翌日物金利を8%から23%に上げ、ヘッジファンドが香港ドルを調達するコストを上げた。
これにより香港ドルは変動相場制への移行を回避することができた。
南朝鮮の場合は悲惨だった。
IMFが乗りだして、財閥を解体するなど、経済が徹底的に改革された。
それが南朝鮮の国民にとって良い結果とはならなかったが、それは別の機会にお話したい。
アジア通貨危機はロシア通貨危機の原因ともなるのだが、これも別の機会にお話したい。
利益を求めて走り回るマネーが大暴れした結果、アジア通貨危機を始め、多くの人を苦しめることにつながります。
一方で、少数の人は大儲けしたり、危機の中で不正を働き、利益を得るといったことが続いています。
いつまでこういう状況が続くのかはわかりませんが、長続きはしないと思います。

橘みゆき 拝

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本コラムは、【連山】に 2007年01月31日に投稿したコラムです。

 

【旧連山コラム】1994年のメキシコ通貨危機
橘みゆき
 2007年01月31日

 

メキシコは1982年と1994年に経済破綻し、多くの国民が急激なインフレと失業に苦しみました。
国際金融市場のマネーが利益を求めて、発展途上国や新興国にどんどん投資されていき、そのマネーが暴れたり逃げ回った結果、悲劇がもたらされます。
1994年のメキシコ通貨危機は、IMFが再建に乗り出して成功した事例のため、その後のアジア通貨危機などにも適用され、その国の経済を徹底的に破壊します。
まるでイナゴの大群のように。

 

1982年メキシコの債務危機

メキシコで石油投資ブーム
メキシコへの投資

1970年代、石油価格高騰を受け、メキシコで石油投資ブームが発生した。
また、メキシコの賃金がアメリカよりも安いことから、製造業の工場移転による投資も増えていた。
国際金融市場を行き交うマネーが急増し、利益を得るために発展途上国への融資をどんどん行っていた。
ちょうど1995年前後、1ドル100円水準の円高を受け、日本から東南アジアへ工場が移転し、東南アジア諸国に投資が急増したのに似ている。

メキシコへの投資は、米国の金融機関にとって、比較的安全なものと判断されていた。
ドルとメキシコ・ペソは固定相場であり、当時、メキシコの石油公社や電力会社は国営であり、メキシコ政府による債務保証が付けられていた。
国家が破産するはずがないと信じられていた時代である。

米国よりメキシコの金利が高いため、アメリカで資金を調達し、メキシコに投資をすれば、濡れ手に粟のように儲けることができた。
そういう事情により、メキシコの対外債務は急増していった。
債務の利払いは石油や輸出による代金で賄われていた。

ところが、1980年代になると米国の金利が上昇したため、対外債務の利払いが増大し、さらなる融資が必要となったが、財政負担能力を超えていた。
1982年8月、メキシコは利払いの一時停止(モラトリアム)を宣言する羽目になった。
メキシコ国民は急激なインフレと失業の増大によって苦しんだ。

1982年メキシコ債務危機まとめ

当時のメキシコの対外債務は870億ドルであった。
メキシコ危機が国際金融機関に与える影響が大きいため、IMFと米国財務省、国際商業銀行団により救済措置がとられた。

1982年の利払い分に相当する80億ドルを緊急融資が実行され、翌年には70億ドルの追加融資が行われた。
さらに、債務を返済するため、厳しい措置がなされた。石油公社や電力会社の民営化はもちろん、貿易自由化などを強要する条件で、メキシコとIMFを始めとする国際金融機関との合意がなされた。
この成功を受け、メキシコ債務危機以降、発展途上国で債務危機が発生した場合の対応策として適用されることとなる。

1982年メキシコ債務危機の救済

メキシコに再び資金が戻ってきた。
新規投資の資金ではなく、メキシコ人の富裕層が米国に流出させたマネーであった。
このマネーが民営化された国営企業や銀行の購入資金となった。
売却された国営企業の資産価値は売却額よりもはるかに高かったため、メキシコ債務危機が終わって見ると、一部の富裕層がさらに裕福となり、大半の国民がより貧乏になるという結果をもたらした。
ここで大もうけした人達が、メキシコの経済改革を徹底的に行い、再び、アメリカや日本などの外国から資金を集めることに成功し、再びメキシコの対外債務は増加していった。

 

1994年メキシコの通貨危機

メキシコは1986年GATTに参加した。
外国から資金を呼ぶため、金利は高く設定され、ペソは過大評価されていた。
(この点、アジア通貨危機直前の状況と似ている)
その結果、輸入が急増し、輸出は不振となり、貿易赤字が増大していた。

1990年の貿易赤字は1000億ドルに達した。
さらに、1992年12月、NAFTA(北米自由貿易協定)が調印され、アメリカからメキシコへの投資ブームが起こった。
1982年の債務危機のことは忘れ去られ、安い労働力を求めて、アメリカの製造業がメキシコに大挙して工場を建設した。
メキシコは空前の好景気に沸いていた。

メキシコへの投資

バブルの崩壊は突然であった。
1994年2月、南部で先住民による武装反乱が発生。
3月には大統領選挙の候補が暗殺された。
この事件をきっかけにしてカントリー・リスクの懸念が表面化した。

メキシコ・ペソ売りドル買い圧力の増加に対抗するため、メキシコ政府はドル売りペソ買いで為替介入したが、力尽きてしまいました。
その結果、12月に固定相場から変動相場への移行を余儀なくされた。

1994年メキシコ通貨危機

メキシコ通貨危機を防衛するために、メキシコ政府は額面がペソで元利金の支払いがドルで行う政府短期証券「テソボンド」を大量に発行しました。
この債権がメキシコ通貨危機が治まった後に事実上のドル建てで取り戻せたため、これを購入した富裕層はたいへん儲かりました。
1982年のメキシコ債務危機に続いて、1994年のメキシコ通貨危機でも、経済破綻を通して、富裕層がさらに富を増やしました。
メキシコに投資した投資家たちは巨額の損失を被り、メキシコ国民は急激なインフレと大量失業という苦しみを味わうことになったのですから、なんとも後味の悪い結果です。
・・・というのが、メキシコ通貨危機のあらましなのですが、メキシコに投資されたアメリカの資金が本国に戻っていったというのが真の原因なのではないでしょうか?

1994年メキシコ通貨危機真の理由

1991年から1993年にかけて、アメリカの低金利を背景に大量のマネーが世界へ広がっていきました。
それが、1994年2月にアメリカの金融引き締めにより金利が上昇。
資金繰りをつけるため、世界各国に投資されたマネーを本国に還流せざるを得なくなりました。
そのため、メキシコは資金不足となり、通貨危機になったのです。

トルコでも同じ理由で1994年4月に株が暴落しました。
アジア各国も影響を受けましたが、1994年当時は円高でしたので、日本から東南アジアへの工場移転による投資があったため、通貨危機に至らずに済みました。
(円安に反転した1997年に先送りされたとも言える)

資金の流れ

橘みゆき 拝

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1929年世界大恐慌を伝える映像(YOUTUBE)

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橘みゆきのコラム(Neo-Generation.NET)【新世代どっとネット】のスタートに伴い、情報の統合をしないと、だんだんわけがわからなくなって来そうです。
このブログをメインに置き、メルマガ『士官学校を産み出すML』と連携して、みなさまに情報提供(電波って言わないで)していきたいと思います。
【連山】に掲載していただいたコラムも順次掲載していく予定ですので、お楽しみに!

 

現在、21世紀の大恐慌が進展している最中です

先日、クライスラーが破綻しましたが、GMも労働組合がリストラに強行に反対しているので、5月末日までに再建策がまとまるわけもなく、1月遅れで、BIG3のうち2つが消えていくこととなりそうです。
残るはフォードですが、アメリカの自動車会社を1つにして、Genaeral Motors ならぬ、Amerikan Mortors に再統合して、反撃に転じる・・・というシナリオをするかもしれません。

 

歴史は似たような形で繰り返される

チューリップバブル以降、何度もバブルが作られ、そして崩壊してきました。
20世紀最大のバブル崩壊といえば、1929年株価暴落から始まった大恐慌ですが、現在進行中のバブル崩壊は、これをも上回るものとなるでしょう。
世界経済の結びつきがより強くなり、デリバティブを駆使した『欲望のテコ』による信用創造が、実態経済をはるかに超える大きさとなっているからです。

YOUTUBEで、大恐慌関連の映像をさがしたところ、よいのがありましたので、紹介します。

1929年世界大恐慌 (YOUTUBE)

 

これからどうなる? それは過去の歴史にヒントが隠されています。 過去に生きた人達が大きな変動を目の当たりにして、いろいろ対策をうちました。
効果があったもの、効果がなかったもの、やらないほうがマシだったもの、彼らの選択の結果、どうなったのか、歴史で学ぶことが可能です。
そこから教訓が得られ、同じような出来事が起こった際、解決策を見出すの手がかりとなります。

2009/05/06 橘みゆき 拝

関連するHP
 1929年世界大恐慌 (YOUTUBE)

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