1970年代、AMラジオ局の深夜放送が時代をリードしていた。
TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」、文化放送の「セイヤング」、ニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」が3大放送である。
このほかにも、地方のAMラジオ局が独自に深夜放送を行っていた。
当時、テレビは深夜放送がなく、日付が変わると終了していたため、若者文化はラジオが担っていた。
1980年代に入ると、FM局が流す洋楽や音楽中心の番組に人気がシフトした。AMラジオは、文化放送の「セイヤング」を終了させ、女子大生ブームに火付け役となった文化放送の「ミスDJリクエストパレード」を開始した。長野智子、川島なお美、千倉真理、川口雅代、ぽん太のメンバーである。
オールナイトニッポンは、糸井五郎が引退し、鶴光とビート・タケシが下品な放送を行う中、中島みゆきが孤軍奮闘する状態で、トーク中心の放送が下降していった。
1982年7月にTBSラジオのパックインミュージックが終了したのは、そういう時期である。
Youtubeにパック・イン・ミュージック最終回がアップされているので、みなさん、聴いてほしい。
新しい時代に向けた野沢那智さんの挨拶である。(消されると困るので、挨拶部分のみテキスト化します)
パック・イン・ミュージック 最終回 エンディング (Youtube)
1982年07月31日放送(TBSラジオ)
パック・イン・ミュージック 最終回 エンディング
(司会)
あっという間の2時間だったのですけども、間もなくお別れのお時間です。
最後になっちゃんからラジオをお聴きのみなさん、そして会場のお客さんに挨拶をしてください。
(拍手)
(野沢那智)
古い話で恐縮ですけれども。
ボクらがラジオを聴いていた頃は、ラジオというものは、何か偉そうな人が
台本を書いて、それをタレントと称するような人が何だか自分がしゃべって
いるような感じで読んでいました。そこへテレビが登場したんです。
ラジオと同じスタイルでテレビもやったんですけど、
テレビだから、まさか放送作家が書いた台本を、タレントが全部覚える
わけにはいかない。
いっしょう懸命覚えて、けんめいワイド番組とかやってきたわけです。
「おはようございます。今日はこんなことが、あんなことが」
でも人を書いた台本ですから、なかなか覚えられないで、顔をひきつったままやる
ジョークなんてつまらなくて、とうとうそういう番組ではダメだというわけで、
たとえば、青島幸男さんやマエタケ(前田武彦)さんとか、
それまで放送作家だった人が
「よし、タレントさんに覚えてももらうより、俺が直接出て行ってしゃべるよ。
言いたいことはいくらでもあるんだ」
とTVに登場してきて、TVというものの、1つの番組を作り出しました。
それでもラジオは、ある人が台本を書き、タレントを読むという仕事を
相変わらず続けていました。
そうしたら、誰も聴かなくっちゃたんです。
全然リアリティがないんです。やっていることに。
でもなんとかラジオも生きたい。生きなきゃいかない。
そこで、それじゃあ、誰かにとにかく1時間でも2時間でも、時間を渡して、
思いっきりしゃべってもらって、
その人に番組を一切まかせるから進めてみようじゃないかと。
でも、昼間の番組から、そんな実験をすることが少し怖くって。
ああ、あの夜中なら空いている。
たいして人も聴いていないから、
多少の失敗があってもそれほどのことにならない。
あそこで実験してみよう。
なんて雰囲気もあって、おもてっつらは、けっこうにぎやかでしたけれども、
放送やる人間としては命がけで、いわゆるパーソナルラジオという実験を
深夜放送で始めてみました。
そうしたらしゃべっている僕らだけでなくて、聴いている人がどんどん参加してくれた。
いま、ラジオ番組を昼間でも聴いてみると、みんな電話とか手紙とか
聴いている人と送り手とが一体となってやってます。
放送というものは、やっぱり、送る人間が言って、聴いている人がだまって聴いて
ああそうか といって、それでおしまいではなくて、
もし違うことがあれば、違うと声を大にして言うべきだし、
そんな話し会いの中からしか、本当の人間らしい交流が生まれないと思うのです。
金曜パックがはたして、このパックインミュージック全体がどこまでそれが
できたかわからないけれども、とりあえず、ひとつの新しい放送のスタイルを、
形を生み出そうという努力をしてきたつもりです。
ボクたちは今、この時点で終わります。
たぶんボクは放送が終わったら、もう深夜のことは考えないと思います。
明日からはもうボクは44歳ですから、自分の人生を生きていくと思います。
多分、思い出としてはあるでしょうけれども、
二度と深夜放送のことは話さないと思います。
そして、さっき、キンキンと話しましたけれども、
ボクはきっともうやらないと思います。
もう翔君とか、スモウ君とか、次の人達が出てきているんです。
翔君は本当に短い期間だった。ボクは欲求不満だと思う。
(拍手)
新しい放送の形を翔君たちの手で作ってください。
どうも、
放送を、新しい形を作るために協力してくれて、みんなありがとう。
さようなら。
(司会)
これでパックインミュージックの最終回の放送を終わります。
15年間、本当にありがとうございました。
最後にもう一度
さようなら、パックインミュージック
1982年7月31日に、パック・イン・ミュージックが終了して以降、首都圏の深夜放送は音楽中心の番組ばかりとなった。
ハガキ職人は名古屋や福岡の深夜放送に流れたり、最後の砦、ラジオたんぱの公開生放送「やろうども、めろうどもOh」にシフトした。
そしてパソコン通信、インターネットへ移動した。
アニメの声優によるトーク主体の番組が復活してきたのは、ようやく21世紀に入ってからであり、その間、20年間、深夜放送は低迷を続けた。
ハガキ職人が再び、ラジオに戻っているが、当時の勢いはない。
さきほどのテレビの話ではないが、インターネットラジオを通じて、自分達で放送できるからである。
言いたいことは山ほどある人たちによって、情報発信されているのだ。
【追伸】
1980年代のラジオを支えた小森まなみさん、お誕生日おめでとうございます。
当時のラジオたんぱのリスナーは、いまだ健在です。
2010/10/16 橘みゆき 拝
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