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昭和政経史を広瀬隆著「持丸長者」を教科書に整理総括しています。
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-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------       西園寺公望は公家の徳大寺家から養子にはいったが、実弟の徳大寺隆磨は住友家に養子にはいり第十五代目住友吉右衛門となった人物である。
      その住友家から副 支配人の山下芳太郎が首相秘書官についたのも当然である。この西園寺=住友内閣が児玉源太郎を委員長として満州経営委員会を発足させたが、西園寺自らも現 地視察をおこなっている。
    この児玉源太郎を師と仰ぐのが後藤新平である。その後藤が児玉の急死により初代満鉄総裁となるが、後藤は満鉄の鉄道敷設に三井物 産ら政商を使い政治利権を拡大していった人物ではなかったかと見ることが出来る。
   当然ながら長州閥に取り入り後藤自ら政界に進出する。その挙句が国家権力 の中枢内務大臣後藤新平~警保局長・後藤文夫~警視総監・湯浅倉平~警視庁官房主事正力松太郎のラインであった。



「引用開始」

    当 時の責任者だった人物のその後は、警視総監・湯浅倉平が朝鮮総督府・政務総監となり、警保局長・後藤文夫が台湾総督府・総務長官に転身した。後藤文夫が満 鉄総裁・中村雄次郎一族であることを考え合わせると、彼ら内務省トップが、朝鮮・台湾・満州の植民地行政官の最高位として、国家ぐるみで組織的に動いたと 見える。しかも湯浅倉平を任命したのが後藤新平であった。後藤新平は台湾総督府で初代民政長官をつとめて、日本の植民地支配に抵抗する三万人以上の台湾人 を処刑したが、その民政長官を一九一九年に改称したのが、後藤文夫の就任した総務長官ポストであり、後藤新平は初代満鉄総裁でもあった。大震災後、全国各 地で収容された朝鮮人たちは二万三七〇〇人にも達し、その一部は民間人に引き渡されて殺害された。

  全国の人が、震災の被害者を救おう と救援物資を送り、商人たちでさえ思惑買いによる投機を控えて物価の高騰をおさえようとしているなかで、一体、なぜ、この理を失う虐殺が起こったか。経済 不況が続き、国民から追いつめられた政府か内務省が、日本の貧困層の不満と怒りを朝鮮人と中国人に向けさせる機会としてとらえたのが、関東大震災ではな かったか。翌年に後藤新平が正力松太郎に読売新聞買収のための大金を与えたのは、なぜであろう。そうした中で、後藤新平は、帝都復興院総裁を兼務し、後年 に「震災から東京を復興した偉人」とする伝記が流布する。

「持丸長者国家狂乱篇」P294-295

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  昭和二年(一九二七年)三月十四日の議会で審議中、 大蔵大臣・片岡直温が「渡辺銀行が支払いを停止した」と根も葉もない失言を口にし、それに端を発して取り付け騒ぎが日本全土の銀行に波及していった。そ の、昭和大恐慌は、誰もが知る通り、この渡辺銀行が破綻して始まったのである。それから日本は、大衆が生きるのに一銭の余裕もなくなり、財閥による独占の 急拡大へと進み、一気に財閥を憎悪する国民的な軍国ファシズムが広がり、一九三一年の満州事変へと雪崩をうって転げ落ちていくのだ。

この系図の一番上にある質商尾張屋・峯島茂兵衛~江守善六の一族について、現代人はほとんど記憶にないが、満鉄設立の翌年、一九〇七年に11万坪を所有し て東京市第三位の大地主という質屋であった。第一位は三菱・岩崎家の22万坪、第二位が三井家の17万坪だが、第五位が渡辺銀行の渡辺治右エ門で、6万坪 を超え、江守家と渡辺家は、系図のように近親者なので、両家を合計すると三井家を上回る第二位であった。この当時、山形県庄内の本間家が500万坪、ある いは、新潟県越後の市島家が400万坪を所有した田地とは意味が異なり、東京の大都会で17万坪の市街地を所有することは、桁違いの資産を意味した。現在 の東京で広大な緑の庭園を広げる新宿御苑が17万坪である。戦後も峯島家の貸地事業の主力地区は新宿歌舞伎町にあり、七代目茂兵衛が土地区画整理組合の副 会長を務めてきた。さらに渡辺治右衛門の弟・渡辺福三郎は、最大の貿易港として隆盛する横浜第一の地主でもあった。

 渡辺銀行の業祖にあたる初代の渡辺治右衛門は、兵庫県播州明石からでて、将軍吉宗の時代に海産物問屋「明石屋」を江戸の日本橋に開業した。幕末から蝦夷 地の函館、江差、小樽の海産物を扱っていた八代目・治右衛門は、維新後に北海道開拓使の御用達商に取り立てられ、日本橋の魚市場を舞台にみるみ台頭して、 屈指の豪商となった。渡辺家の巨財も、第二章に述べた北海道の海産物から生まれたのである。息子の九代目は、渡辺銀行を設立して頭取をつとめ、その姉妹銀 行を、屋号・明石屋治右衛門の頭文字・明治に因んで「あかぢ貯蓄銀行」と命名した。質商尾張屋・峯島家の一族となった渡辺銀行がどれほどおおきな金融力 誇っていたか、三菱や三井と並べてみれば想像がつく。

  系図2に示したこれら三つの財閥グループは、わずかな人間を除いて、ほとんど軍 国的な植民地主義者の姿がない。質屋、漬物屋、菅笠屋、刀剣商、時計商、農業、魚市場、地主は、国内型の生粋の商人である。織物商、米穀商たちは、植民地 の産業支配と全く無関係ではないが、この時代にはまだ輸出先としての中国であった。在華紡とよばれる中国現地工場での紡績業が隆盛したのは、大正半ば以降 である。図中の人間は、強欲を持って海外に進出しようとする侵略者とは見えない。世襲名が多いことから気づくように、代々の商家が多く、彼ら商人と工業家 が、満鉄資金を支えたのである。これらすぐれた商人が、昭和大恐慌で受けた影響は、どれほど大きかったであろうか。

  その渡辺銀行の閨閥に、わが国の資本主義の生みの親、渋沢栄一がいるのである。ここにいる娘・渋沢武子は、渋沢子爵家の公式の系譜には出ていない。ポーツマス条約三年後に、栄一ますます壮健にして六十八歳でもうけた庶子とされるから、曾孫のような愛娘であった。

   満鉄株を扱ったのは、当然、東京証券取引所であった。だからこそ、早川ビルブローカー銀行や、藤本ビルブローカー銀行が、満鉄大株主となった。また東京 の質屋は、兜町の相場を動かす大きな金融集団だったので、峯島家の尾張屋が大株主となった。思い返せば、明治十一年にこの取引所を設立・開業したのが渋沢 栄一であった。成金元祖・鈴木久五郎は、鐘紡や日糖株のほかに東株の保有でも鳴らしたが、東株とは、株式会社組織だった東京証券取引所が自ら上場した株で あり、渋沢株でもあった。さらに、満鉄株主で大倉喜八郎の七倍を超え、群を抜く第一位、三万株を保有した神田鐳蔵は、愛知県海部郡で代々酒造業の息子に生 まれ、有価証券のブローカー・紅葉屋商店を創設した。日露戦争前には公債の大商いに進出し、大蔵大臣に国債市場の開設を建白し、公債引受団を組織した男で あった。こうして神田は渋沢栄一にその存在を知られて引き立てられ、ロンドン市場、パリ市場などに日本の公債5000万円を送り出し、後に彼の神田銀行が 証券業者として満都に覇を称えるまでになり、満鉄最大株主となったのである。そのような大物が、なぜ歴史に名を残していないのか。

 神田銀行もまた、渡辺銀行と共に、昭和大恐慌で吹き飛んだからである。

系図で渡辺銀行と質商・尾張屋のあいだに入っているのが、「出版界の覇王」と呼ばれ、日本最大の出版社である博文館の社長・大橋新太郎であった。越後長岡 にでた新太郎は、日本石油業界の草分けとなる宝田石油取締役を手始めに、大川平三郎と藤原銀次郎が経営権を争った王子製紙の大株主・取締役として君臨した ほか、北越製紙、帝国製麻、白木屋の取締役、三井銀行監査役、日本興業銀行理事、満鉄監事など、彼が経営に関与した企業は満州・朝鮮を含めて数十に及ん だ。共同印刷と日本書籍の設立者として名高い彼は、一九〇八年と一九三三年に名だたる越後の大地主に伍して新潟県第四位の長者となったが、娘・豊子の嫁ぎ 先は、金子堅太郎の息子であった。金子は三井大番頭・団琢磨の義兄である。

  日露ポーツマス講和会議の中心人物であるセオドア・ルーズベルト大統領が、ロシアに対する金銭的要求を放棄するよう日本に勧告したとき、それを受けた講和特使が金子堅太郎であった。

 なぜ団琢磨は暗殺されたのであろうか。このような数々の要人閨閥の結び目にいたのが、渡辺治右衛門の一族であった。その巨大な渡辺銀行の財産が一瞬で吹き飛ぶと、何が起こるであろうか。

「持丸長者国家狂乱篇」P186-189

    この北海道開拓物語では、膨大な数の名もなき民衆・農民・漁民は登場していない。その人たちこそ、まことの北海道開拓者であった。ほとんど痕跡もないほど消されたアイヌ集落と、極寒の地で鉄の足かせをはめられ、死ぬために働かされた囚人達の最後を知って、胸が痛まない人間はいまい。北海道をただ荒らし回って逃げ去った人間達と違って、この開拓史を胸の奥深くに理解し、住み着いて原野を開拓した小作人たちこそ、花咲き乱れる夢の地を育てた、現在の北海道民の姿である。

   北海道の実業の柱となった「石炭」を運ぶ鉄道と、その「鉄道」の線路を生み出す「鉄鋼」と、その溶鉱炉を動かす石炭は、互いに相手の冨を生み、相手に助けられる三角同盟の性格を持っていた。これが、モルガン財閥、ロスチャイルド財閥、クルップ財閥を筆頭に、全ての大国において巨大財閥の中核を成してきた。

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Dan_Takuma.jpgのサムネール画像「持丸長者国家狂乱篇」より
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 昭和元年とは西暦で1926年であるが、大正天皇が崩御されたのが12月25日で実質この年は6日しかない。
 しかしながら昭和という時代は皇太子の摂政というかたちで1921年から既にはじまっていた。1920年皇太子が摂政になる前年に宮中某重大事件がおき、元老山県有朋と杉浦重剛、頭山満らが対峙、山県は失脚する。
 現在の時価になおすと、様々な比較基準があるものの少なくとも100万円=6億位の価値になるという。現在格差社会といわれている、しかしながら昭和元年当時世間には相当な格差があった。

  昭和が終わって二十年、あの六十数年を最初から最後まで総括し、事実から過去を冷徹に判断し、新しい時代に向けて一歩をふみだす時に来ています。


以下「持丸長者国家狂乱篇」 P14~P15 より
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明治の時代に入ってから、わが国では、それまで日本人に体験の無い新産業が、意気盛んに気焔をあげていた。なかでも鉄道産業は、枕木の上に二本の鉄路を並べて、大平原から山中の奥深くまで、どこまでも分け入ってゆこうと大蛇のように伸び続け、世の視聴を一身に集める麒麟児であった。

 案内人であるこの鉄道に導かれて、藪に生える筍のように、工場と商店がいたるところに林立するめざましい新国家がそこにあった。株式相場には投機屋と成金が跋扈して、あらん限りの活況を呈した。
 しかし昭和前期までには同時に、満州事変・盧溝橋事件を経て、真珠湾攻撃から太平洋戦争に突入した怒濤の戦時中である。

~中略~

    歴史読本の扉を開いてみれば、一方に近代産業のめざましい発展、一方に軍閥のおそろしい台頭が見られた時代である。その近代産業は、表では、国民の生活を向上させる真の進歩的技術の発展をもたらした。ところが、その裏では、巨大な利益をむさぼる工業資本家が徘徊していた。

 軍人と、金融経済との利権は、一体どのように結束していたのか。金銭なしに軍需産業が成り立つはずも無く、解かなければならない最大の疑問がこれである。産業と戦争を解明する、それが本書の究極の目的地。軍産複合体なる言葉があるとおり、軍事的な行動は常に、産業と表裏一体をなす。
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